自分に問題があるという考え方も度が行きすぎている話

何か失敗したとき、それは自分のせいか?人のせいか?

一般的には、自分に問題があると考える方が良いとされている。自分に問題があるから、それを改善して次に生かす。これはこれでいいことだ。

しかし、最近どうにもそういった考え方が暴走している気がする。私自身、自分のせいにしていては解決しない問題があると感じている。

その問題、本当に自分が悪いのか?

本気で考えた結果、次の結論にたどり着いた。

自分せいにすることは、個人単位で考えるならその方が妥当だ。

しかし、社会全体で考えれば、自分(国民)のせいでは問題は解決しない。

アルコール依存症を例にしよう。
個人単位で考えれば、アルコール依存症になったのは本人が悪いと考えるだろう。しかし、実際にはアルコール依存症は社会問題であり、深刻化している。

世間はアルコール依存症をなくしたいと思ってはいるが、どうもその対策が、国民の意思に委ねる形に思える。確かに現在は保健体育の教科書に飲酒の危険性を示す内容が載っているが、それだけでアルコール依存症が減るとは思えない。

第一、日本社会でおかしいのは、お酒に取り扱えるのは20歳以上という年齢制限を設けておきながら、酒類の広告を闇雲に垂れ流していること。当然、広告は年齢を問わず誰の目にもつく。これが未成年者を含む人々に飲酒の関心を煽っている。これがアルコール依存症の原因になっているのなら、広告を規制していくべきだ。

実際、欧米では、酒類の広告は厳しく規制されている。いくつか例を挙げると、

[アメリカ]
アルコール度数22%以上の種類のテレビCMは禁止
→主要テレビネットワークの自主規制

[イギリス]
蒸留酒(ウイスキーやブランデーなど)の
CMは禁止
→メディアの自主規制

[フランス]
全種類のテレビCMは禁止
→法律による規制

このようになっている。

これらと比べると、日本の酒類の広告は野放し状態と言っていい。2015年9月からテレビCMで効果音や演出に関する部分で規制がかかっているが、あんなものは規制のうちに入らない。さらに、テレビCMの度に「お酒は20歳になってから」と出るが、それではダメなのだ。

アルコール依存症を手っ取り早くなくしたいなら、まずは飲酒の関心を煽らないように、広告を規制するべきなのだ。しかし、日本人は何でもかんでも自分せいと考えてしまうため、アルコール依存症になったのは本人が悪いという考えに行き着き、企業に責任はないことになり、広告を規制するという発想が生まれない。

早い話、犯罪などの問題行為をなくしたいなら、その行為を「させない」対策ではなく、「できない」構造にしていくべきだと言いたいんだ。

これは考え方として言うが、アルコールの「存在自体」をなくせば、飲酒運転だってできなくなる。これで飲酒運転は完全になくなる。

人気のセブンカフェだって、今の構造ではその気になれば、コップ1つで何杯も注げる。もちろんそれをやれば窃盗罪になる。しかし、これまでの日本人ならそれを「ルールを守らない本人がバカ」としか思わないんだろう。それはそうだが、コップ1つで何杯も注げる構造をほったらかしにしているセブンイレブンにも問題がある。

他にも、いじめは「いじめられている本人にも原因がある」という考え方はやめるべきだ。本人は何もしていないのにいじめられるのである。ありもしない原因を探しても解決しない。本当に原因があるなら、本人自身で改善して、第三者を必要とせずに解決するはずである。

どうだ?自分(国民)ではなく、人(企業)のせいにすることで解決できる問題もあるんだよ。もう少し頭を柔軟にして物事を考えようね。