今更だけどとある素直じゃないiPhoneユーザーのネット記事について語る
はじめに
※この記事は、iPhoneユーザーを批判するものではありません。ご注意ください。
あまりこれを言って何がどうなるわけでもないが、私のモヤモヤの捌け口としてこの場を使わせてほしい。
1年前のこと、日本でiPhone 7が発売された。Androidスマートフォンには以前からおサイフケータイが搭載されていたが、iPhone 7からは、ようやくiPhoneにもApple Payが搭載され、同じように電子マネー決済ができるようになった。私はiPhone 7がどのように変わったのか、詳しい情報をネットで調べていたのだが…
何と言えばいいのだろう。ネットに記事を書く人としての素質を疑う記事を見つけてしまったのである。気になってその記事を一通り読んだ。
はっきり言ってその記事に理屈は反映されていない。筆者の勝手な感情だけで成り立っている。
いきなりグチグチ言っても時間の無駄なので早速本題に入ろう。
こちらが発端の記事である。
iPhone信者「おサイフケータイなんていらない」→iPhone 7にFelica搭載で「この日をどれだけ待ち望んでいたことでしょうか」 | BUZZAP!(バザップ!)
この人は、手のひら返しをしている人がいると言っている。過去に記事にしたことを全部書きかえ、全く逆のことを言い出したと(しかし、上書きされたはずの記事はウェブアーカイブとして残っている)。
では問題の記事とはどのような内容なのか?
まずは書きかえられる前の記事のウェブアーカイブがこちら。
おサイフケータイって本当に必要?いらないんじゃないの?これからはiPhoneでいいのではと思うこと | ももねいろ
筆者は全体を通して、「おサイフケータイは本当に必要なのか?」と言いたいらしい。そして、おサイフケータイを使っても、大したメリットはないと主張している。
しかし、iPhone 7の発表に伴って、記事はこのように書きかえられた。
おサイフケータイに「iPhone 7」が「Apple Pay」として対応開始!おすすめのクレジットカードと注意点 | 暮らしラク
先ほどの記事ではあれだけおサイフケータイを否定していたのに、iPhoneにApple Payが搭載されると分かると、態度が180°変わった。
※おサイフケータイとApple Payは、根本的に仕組みは違えど、役割は同じ電子マネーやクレジットカードの登録であることを肝に銘じていただきたい。
「おサイフケータイは本当に必要なのでしょうか?」と言っていたのに、「この日をどれだけ待ち望んでいたことでしょうか?」と、態度が変わっている。このように、態度が一変する時点でもおかしいと思いたいが、ここから私なりに2つの記事を通してのおかしな点を見ていくとしよう。
とは言っても具体的に追求するのは主に最初の記事である。最初に指摘する部分を抜粋してみた。
「おサイフケータイというのは、一言で言うなら、
複数の電子マネーや会員カード、クレジットカード決済の情報を一台のスマートフォン(ガラケー)で管理できる。
と言うことに尽きると思います。
現在、私が財布とともに持ち歩いているカードは、次のとおりです。
運転免許証
健康保険証
キャッシュカード
クレジットカード
Tポイントカード
宅配ボックスカード
Suicaカード
nanacoカード
図書館の貸し出しカード
それ以外の各種ポイントカードや診察券などは、別途カードケースに入れておいています。
このうち、おサイフケータイに入れられるものってどれでしょうか?
各種ポイントカード(ビックカメラなどはありますね。)
Suicaカード
nanacoカード
実際問題、これくらいしかありません。
他に楽天Edyなども同じですね。
要するに、おサイフケータイを持ったところでほどんど財布の中は減らないということです。」
では指摘していこう。まず
「おサイフケータイというのは、一言で言うなら、
複数の電子マネーや会員カード、クレジットカード決済の情報を一台のスマートフォン(ガラケー)で管理できる。
と言うことに尽きる」
というのは百も承知だ。しかし、おサイフケータイは財布の中身が大して減らなくとも、カードを取り出す手間が省けるだけでも大きい。そういう意味では、おサイフケータイは何も財布の中身を減らすのが目的なのではないと思う。
しかし、もっとおかしいのはこれだ。筆者はおサイフケータイの必要性を疑う理由として
「おサイフケータイを持ったところでほどんど財布の中は減らない」
と言っている。おサイフケータイを使ったところで財布の中身が減らないなら、それはApple Payも同じだ。にもかかわらず、なぜ役割が同じApple Payはすんなり受け入れるのか。否、勿論ここに理屈なんてない。
では次へ。
「おサイフケータイに対応させるためにモバイルSuicaに申し込むと、毎年1,080円の年会費が発生します。
モバイルにするだけで年会費を取るなんて、イヤな感じですね・・・。
普段定期券の範囲内の電車にしょっちゅう乗るのでなければ、年会費を払ってまで残高が見られなくても、改札を通るときに残高がわかります。
急いでいるときはそんな余裕はないですけれどね(汗)
Viewカード系列のカードを利用すれば、年会費はかかりません。
でも、Viewカードの場合はオートチャージを利用すれば、モバイルSuicaではない普通のSuicaカードでもクレジットカードからチャージが出来ます。」
Viewカードにすれば年会費はかからないという、年会費を避ける手段を分かっているのに、わざわざ「モバイルSuicaは年会費1080をとられるのが嫌」ということを書く意味が分からない。以上。
では次。
「おサイフケータイのメリットって何でしょうか?
Suicaとnanacoに関しては、残高をリアルタイムで見ることができます。
電車に乗るときに、あらかじめスマートフォンの画面で確認することが出来ます。
「うぁー、電車に間に合わない!」
残高がなくて改札が通らなかった、ということも避けられます。」
「普段定期券の範囲内の電車にしょっちゅう乗るのでなければ、年会費を払ってまで残高が見られなくても、改札を通るときに残高がわかります。」
「nanacoの場合はさらに簡単です。
WEB会員登録しておけば、nanacoのページから自身のクレジットカードでチャージおよび残高の確認が出来ます。
スマートフォンであれば外からnanacoのWEBページも確認出来ますから、アプリにしておサイフケータイにする必要はないわけです。」
おサイフケータイにすれば、Suicaとnanacoの残高をリアルタイム(その場)で確認できるというおサイフケータイの優位性を挙げておきながら、「年会費を払わなくても改札を通る時に残高を確認できる」とか、「nanacoのページから自身のクレジットカードでチャージおよび残高の確認が出来る」という言葉で、メリットを無理やり封じている。
モバイルnanacoはスマホのホーム画面にウィジェットを設置すれば、それをタップするだけで残高が分かる。こちらの方が早い。そして「年会費を払わなくても改札を通る時に残高を確認できる」ということに関しては、こちらも先ほどと同じく、Viewカードという年会費を避ける手段を挙げた上でのこの発言の必要性が理解できない。
では次。
「おサイフケータイ自体は便利なものですが、実は必ず必要なものではありません。
つまり、
おサイフケータイでできることは、普通のカードでも十分できる。
おサイフケータイがあると、売却・譲渡の時に非常に面倒。
おサイフケータイにこだわると、iPhoneやSimフリー端末を使えない。
iPhoneは、最初からおサイフケータイには対応していません。
でも、いまだに日本ではトップのシェアを持っています。
これだけ多くの人がおサイフケータイを使わなくてもiPhoneを選択しているわけです。」
これも百も承知。そりゃそうだ。おサイフケータイとはカードでできることを携帯端末で利用できるようにしただけのものなのだから、おサイフケータイでできることがカードでも十分できるなんて当然のこと。だからこそ、別におサイフケータイは必要不可欠ではない。
おサイフケータイを使えなかったiPhoneでも日本でトップシェアを誇ることは何ら不思議ではない。なぜならおサイフケータイは必要不可欠ではなく、あくまで「あったら便利だな、だけどなくても別に困らないもの」なのだから。
…ツッコミどころが多すぎて、疲れる。ただ、これで終わるのならまだいい。しかし、この時点でも筆者の勝手な感情ばかりなのに、そうであることに更に追い討ちをかける言葉が書き込まれている。
最初の記事の最後の部分にこんな言葉がある。
「今回の件で別におサイフケータイにこだわらずに、選択肢を広めてみてはいかがでしょうか?」
そして、次の記事の最後の部分にこんな言葉がある。
「Android派だったあなたも、ぜひiPhone 7に搭載されるFeliCa機能に大いに期待していきましょう。」
明らかに閲覧者に対してiPhoneへの機種変を促している。私は最初の記事の内容は、理屈屁理屈を抜きにしても筆者なりの意見だと思っていた。しかし、上記の閲覧者を煽るような言葉からすると、どうもそうではない。おサイフケータイに大したメリットがないと主張した上で、
「今回の件で別におサイフケータイにこだわらずに、選択肢を広めてみてはいかがでしょうか?」
という流れを見ると、筆者は「他人も自分と同じことを思うはずだ」と思っているのだろう。おサイフケータイは財布の中身を減らすのが目的ではないし、Viewカードを使えばモバイルSuicaに年会費を支払うことなくいつでもどこでも瞬時に残高を確認できる。こういう考えをもっておサイフケータイを利用する人々の心を分かっていない。それに、
「Android派だったあなたも、ぜひiPhone 7に搭載されるFeliCa機能に大いに期待していきましょう。」
この「Android派だった」と勝手に過去形にしているところも、筆者は随分と必死なのだなと思ってしまう。
この2つの記事を通して感じたこと。それは
筆者には自分が持っているものを最良だと思う(思いたい)心理がある。
ただそれだけ。
それ以外何もない。
うん。
無論、そんな人は5chをはじめとするインターネット掲示板にゴロゴロいる。俗に言う「信者」だ。
あまりこの場でこういう言い方はしたくないが、問題の2つの記事の内容は、まさにiPhone信者の言動そのもので、信者にありがちな理性のない口調が礼儀正しくなっただけ。事実、問題の記事には客観性がまるでない。自分の考えではなく、感情論だけで物を言っており、複数の視点からの考えを持てていない。もしそれが自分なりの意見ならば、「私がおサイフケータイに必要性を感じない理由」とでも題して、「以上、○○でした。」と締めくくることができるはずだ。そこを
「今回の件で別におサイフケータイにこだわらずに、選択肢を広めてみてはいかがでしょうか?」と煽ってしまってはいけないだろう。そんなにiPhoneへの機種変を促すことに、理由でもあるのか?
何はともあれ、こういった屁理屈な感情論を掲示板ならまだしも、ネット記事に堂々と書いてしまうあたり、布教活動にも見えてならない。
気持ちは分かるよ。必要不可欠ではなく、なくても困らないものであっても、手に入ったら誰だって嬉しい。ただ、筆者には物事を客観視する能力が欠けている。それさえあれば、こんな記事は書かなかった。筆者はおサイフケータイに嫉妬していただけなんだ。
後日、今回の真意を聞こうと思い、筆者のTwitterにメッセージを送ったのだが、返信は来なかった。だからといって、私はもうこれ以上追求する気はない。真意が分かったところで、何がどうなるという話ではないから。皆さんも、私の意見に共感したからといって、筆者のTwitterに押しかけるようなことはしないように。本人にとっても迷惑だろうから。