少子老害社会

今の日本を「少子高齢社会」と表現するのはもう生ぬるい。高齢では済まされない問題がありありとある。

高齢化が引き起こすトラブルは増え続けている。人口の高齢化に伴う問題発生は、どうやら私がかつて想像していたものより上を行っている。

終身雇用と年功序列によって無能なくせに上の椅子に座り続ける奴ら。

時代の流れについていけないのを、若者をあからさまに批判することでごまかす奴ら。

過去の栄光にすがりつき、今現在と未来から目を背けて偉そうな態度をとる奴ら。

些細な事で延々と逆ギレする奴ら。

相手が自分より年下という理由で上から目線になる奴ら。

…私が思っていたのは、単純に若者や社会人が高齢化を支えきれなくなっていくものだと思っていた。しかし、実際に高齢化でおきる問題の本質は、高齢者にあると分かった。

仕方がないで済ませるのは嫌いだが、高齢者が些細な事で逆ギレするのには理由がある。

前頭葉の劣化だ。

前頭葉は理性を保つ働きをする。老化すると、それが上手く機能しなくなるため、いわば前頭葉がまだ未熟な子どもと同じような状態になるわけである。

それが原因で、気分を抑えられなくなる。「最近の若者はマナーがなってない」と言う人ほど、マナーがなってない。このような場面では、高齢者は大抵キレている。

よく聞くのが電車の優先席の話だ。座席を必要としている人が優先的に座れる座席がある。当然、若者であっても足が重傷だったりすれば、優先席に座っていい。

しかし、高齢者はそこまで頭が働いていない。優先席に若者が座っていると、若者という理由で「席を譲れ」と言い出す。彼らの言い分は「高齢者に優しい社会を意識しろ」だろう。否、今の日本はむしろ「高齢者に甘い社会」だ。

老害を是正する気がないのは、国を見れば分かる。政治も高齢者向けの政策しかしない。だから若者が社会に恵まれず、その環境をいつまでも引きずっている。勘違いするな。若者が政治に興味を示さないのではない。国が、若者が政治に興味を持てる構造になっていないのだ。縦の関係を重んじる部分と、年上の顔を立てる国民の意識で分かる。

どういうことか。簡単に言えば、日本人は若者の夢を素直に応援しないのだ。大体の人間は否定ばかり。これが若者の意欲や活躍の機会を奪っている原因なのだ。

その上、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」の一点張り。そんなもの、福祉の世界ではタブーな考え方だ。本来は老若男女幸せでいられる社会であるべきなのに。苦労とは好き好んでするものではない。やむを得ずにするものだ。自ら苦労へ飛び込んでいく人は、我々に分かりやすい言葉で言えば、

ただのドMだ。

政治の話に戻るが、未来のない世代の人間のための政策をして、それが一体何になる?どうせ後少しの寿命なのに。

迷惑な話は病院にもある。日本ではなぜか安楽死が望まれていない。可能であれば何が何でも生き延びさせようとする。例え本人の意思を無視してでも。

延命措置のために病院にへばりつく高齢者のせいで、他に治療を必要とする人々の枠がなくなる。寝たきりになって、何が楽しい?

極め付けは、最近よくニュースになる高齢者の運転事故。身体能力老化しているのに、まだ運転を続けるのか?彼らの事故のせいで、若い命を落としている事例まであるのに、これでは最早高齢者が社会を牛耳っているようなものじゃないか。

高齢者は時代が変わって生きにくいと言うだろうが、生きにくいのは高齢者に潰される若者だ。

社会はいつだって、一番可能性を秘めた世代を中心に回る環境を作るべきだ。厳しすぎる上下関係は、結局無駄な問題を生み出すだけ。

だから私は思う。

高齢者は、若者の敵だ。