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「苦手克服」はお金と時間のムダ

将来の生き方

人には必ず長所と短所がある。
人には必ず得意と苦手がある。

それは生まれ持った素質である。なぜなら得意と苦手は人それぞれ違うから。過去の経験は関係ない。

そして、得意と苦手は本人の個性でもある。なぜなら得意と苦手は人それぞれ違うから。その個性はその人の感性である。

だからこそ、その個性は最大限に生かすべきなのだ。

しかし、残念なことに日本社会はそれが上手くできない構造になっている。長所を伸ばすよりも、「苦手がないこと」が重視されてしまっている。

日本の義務教育9年間は誰であろうと、国語、数学、理解、社会、英語を満遍なく学ばされる。正直社会に出て役に立つ分野なんてほんの一握りしかない。なぜ将来自分にとって役に立たない学問を習う必要があるのか?欧米では自分好みの分野を学べるというのに。

第一、苦手克服は、日本人の無個性を象徴している。せっかくの長所をほったらかしにして、好きでもない短所を伸ばすなど、何が楽しいの?長所があるなら、それを生かせる仕事をすればいいのに。日本人は人を評価するとき、どうしても短所に目が行きがちだ。

こういうことを考えるとき、私はいつも「合理性」を重点に置く。

合理性がどういうことか。例えば、子どもの頃はよく「好き嫌いをしないで食べろ」と教わるだろう。世間では好き嫌いは良くないこととされているが、私は悪いこととは思えない。

人それぞれ味覚は違うし、最もな話、味覚は人の意思で変えることなどできない上、味覚でさえ人の個性である。

牛乳にはカルシウムが含まれている。カルシウムは骨を丈夫にするには重要な栄養だ。だから広く国民に飲まれている。

しかし、中には牛乳を「嫌い」だとか、「まずい」だとか言う人もいる。それは当然のことだ。だからといって、好き嫌いをするなでは彼らは納得しない。

よく考えてほしい。カルシウムを含む食材は牛乳以外にいくらでもある。カルシウムをとるために牛乳を飲むのが嫌なら、ヨーグルトを食べればいい。魚類でもいい。牛乳の嫌な味を避けつつも、同じようにカルシウムをとる方法があるというのに、好き嫌いをするな、なんて言えるか?

念のため断っておくが、こういう話をすると、「貧しい国の人達は食べ物がなくて苦しんでいるのに、せっかく手に入る食べ物を嫌いという理由で放棄するな」という輩が出てくるが、そういう次元と一緒にしないでほしい。食事で大切なのは「楽しさ」である。嫌いなものを無理やり食べさせようとしたら、食べさせられる本人は、食事で嫌な思いをするだけだ。どうせ食べるなら、美味しく楽しい方がいいに決まってる。

なぜこういった「合理的な考え方」ができないのか。

私の心にへばりついていることがある。マーケティング論においては、「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」という経営理論がある。それは「金のなる木」「花形商品」「問題児」「負け犬」の4つに分けられる。

そのうち、「負け犬」とは、その企業が競合他社と競い合っても負ける要素であり、個人単位で考えれば、まさに「苦手分野」である。

マーケティングの世界では、負け犬の要素では勝てないから、それは捨てて別の手を打つべきと言われているのに、なぜ個人単位ではその負け犬を伸ばそうとするのか?私には理解できない。

どうせ、人のスキルのうち、社会で役に立つ分野なんて一握りしかないのに、苦手分野がないというどうでもいいステータスのために苦手克服するなんて面倒だし、何よりお金と時間のムダだ。

我々は個性を尊重するべきなのだ。我々はクローン人間ではない。人の体内から生まれた、人工的な手をかけられていない100%自然な人間なんだ。自然に生きていれば、無意識に長所を生かし、短所は捨てる行動に出るはず。その長所短所を矯正する権利は誰にもない。

苦手克服など、死んでもごめんだ。