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体罰が絶対悪である理由

将来の生き方

たとえどんな理由があろうと、絶対に人に暴力を与えてはならない。体罰は、絶対に許してはならない行為である。

昭和時代は子どもや生徒が悪さをすれば、親が、先生が力で制裁を加えるのが当たり前だった。しかし、現在はそれが法律で禁止されている。昔は当たり前だった行為を今すれば、犯罪になる。

現在は、体罰に関しては肯定派と否定派がいる。私は否定派だ。

例えば、スマートフォンやパソコンが不具合を起こしたからといって、叩き壊す人がいるか?いや、いない。誰もが修理に出すか、新しく買い替える。
それと同じように、人間も不具合を起こしたら(悪さをしたら)、修理して正しい方向へ導いてあげなければならない。

正すため、を口実に体罰を喰らわせるのは誰にでもできる。叩くだけなのだから、考える必要がない。考える必要がないから、その考える必要がない行為を多用する人は、いかにバカであるのかが分かる。体罰をする人はバカなんだ。その方法でしか人を正すことができないのだから。

インターネットを見て回っていたら、ため息が出るほどの勘違い野郎がいたので、そいつを見せしめにしながら話す。
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http://machikun.la.coocan.jp/essaym.htm

体罰肯定派の中で、最も勘違いとして多いのが、「しつけ」だの「信頼関係」だの、こういうたぐいの意見。よく考えてほしい。体罰を受けた者はどう思うか?「痛い」以外に感情があるか?私なら「痛い」で簡潔する。いや、「痛い」で簡潔するべき場面なのだ。

しかし、多くの人は「しつけ」という言葉で体罰を正当化し、体罰を受けた側も「自分をよくするために叩いた」と、疑わずに納得する。ましてや、その体罰に感謝の感情が生まれるようでは、我々に分かりやすい言葉で言えば、

そいつはただの「ドM」だ。

体罰を受けたら痛い。身体も心も痛い。それ以外に感情なんてない。不具合を起こした人間をさらに叩いても、良くなるはずがない。

人は生き物だから、怪我をしても治る。だから体罰をしても問題はない。そう思っているだろう。実際、耳にビンタを喰らって鼓膜が破れたという被害者が過去にいた。原因は空気圧によるもの。

単純な怪我ならまだしも、耳の鼓膜のように、体罰は身体を傷つけることで人生を狂わせる可能性もある。それが分かっても体罰は必要だなんて言えるか?おっと、耳の鼓膜が破れたのを悪さをした罰だと思うなよ?

結局、人間にも治らない傷がある。そして、人間は人であり、物ではない。体罰は絶対悪である。人が悪さをしたら、修理してあげるべきなのだ。