量より質か?質より量か?ちょっと反論がある

筆者初投稿となる記事だが、早速他人の記事に異議を唱える。

今回反論するのはnaze7000nanokaさんのこちらの記事。

http://naze7000nanoka.hatenablog.com/entry/2016/03/31/%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AF%E3%80%8C%E9%87%8F%E3%82%88%E3%82%8A%E8%B3%AA%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%80%8C%E8%B3%AA%E3%82%88%E3%82%8A%E9%87%8F%E3%80%8D%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F

本人は質より量と言っているが、私は必ずしもそれが適切であるとは思わない。早い話、彼が挙げた例は、全て「質より量」が適しているものであって、「量より質」が適している分野に気づいていない。
確かに音楽や旅行は質より量かもしれない。私も思い当たる部分があるので、それは共感する。しかし、量より質が適している分野もあるのだ。

例えば筋トレ。筋トレは、筋肉をつけることが目的である。筋肉は破壊と回復を繰り返すことで強くなる。つまり、破壊をするには負担をかける必要がある。問題なのは負担をかける手段だ。
定期的に同じ腕立て伏せをするとしよう。最初のうちはすぐに限界が来るが、筋肉がついてくるにつれて余裕が出てくる。が、そう思ってはいけない。余裕がついたということは、同じ腕立て伏せでは限界が来るのに時間がかかるということである。力量が増えた筋肉をこれまでと同じ方法でチマチマ負担をかけていては効率が悪い。だから一回の動きでより大きく負担をかけられる手段を考える必要がある。

人間関係も同じ。世界ではどうなのか知らないが、少なくとも日本では、「友達は多い方が良い」という考えがある。確かに「友達100人できるかな」という歌詞がある。では、仮に友達が100人出来たとして、生涯100人と平等に関わるのかというと、答えは否だ。
友達がたくさん出来ても、そのほとんどの人とは疎遠になる。仕事の忙しさなどを考えると、今日までに関わったことのある人全員とこれからも平等に関わるなど、現実的ではないからだ。いずれ疎遠になる友達を作るのは無意味だ。結局手放すものを作り上げるなんて、「時間の無駄」でしかない。将来の他人になる友達をたくさん作るぐらいなら、少ない人数と関わる方が、ずっと深い関係を作れるし、たくさん作ることの無駄を他の時間に回せる。

量か質かは、分野で使い分ければいい。

絶対的な正義と悪が存在しないのと同じように、量と質も、全てにおいて有効であるわけではない。結局は臨機応変なんだと、私は言いたい。

本人がこれを見てくれるとはとても思えないが、もし見たのなら、この話を覚えておいてほしい。